

高校2年生のときに科学雑誌で遺伝子の二重螺旋構造の記事を読み、分子生物学(当時は遺伝子工学という言葉はなかったと思います)に魅せられました。
甲南大学へはエレベーター式進学ですが、成績が良くないと理学部へ入れてくれないとのことで、初めて真剣に勉強をしました。
生物学科は理学部の中でも、一学年15人の小さな学科でした。
しかし、なぜかこの学科を目指して入学した人が多く、教養課程での成績Aの取得数でふるいにかけるというので、隙なく授業を取り、ひたすらAを稼ぐこととなりました。
振り返ってみると本当に勉強した時期でした。
生物学科に入ったときには、分子生物学を一生の仕事にしようと考えていました。
H事務所は特殊な会社で、それを継ぐのは父の目にかなった心身共に卓越した社員であり、自分にはその能力も資格もなく、また父もそう言っていましたので全く関係ないと思っていました。
また、優秀な人材が当時のH事務所には多くいました。
しかし、4回生になって大学院か就職かを考え始めたときに、H事務所に暗雲がたちこめました。
そして頑強で光輝いていた父の健康状態に陰りが出てきました。
家に出入りする社員の様子も変わってきました。
会社の窮状を知り、いてもたってもおられず、まずH事務所の子会社の整理を手伝い、子会社整理が終了し、1977年H事務所に入社。
会社の縮小撤退を手伝いながら、父と残った社員から仕事を学び、父に同行して得意先への営業、債権債務の整理、銀行、税務署との交渉、不良不動産の開発と売却など、目まぐるしくつらい仕事を伴にしました。
しかし、1979年に父が脳水痘症で働けなくなるまでの2年間は、父との緋を深めた忘れ難い充実した日々でした。
会社に入って経理を引き受けてくれた姉の存在が大きな力となりました。
1982年、父の死去に伴い代表取締役へ。
会社の債務返済と再建は、1986年神戸での宅地造成と販売完了まで続きました。
この間の多岐にわたる知識と経験、そして私の熱意に応えて、それぞれの部署の中で最大限の便宜を図ってくれた心ある人々との出会いが、私に仕事への大きな自信を与えてくれました。
1984年、会社再建の見通しがついてきたころ、友人の紹介で東京YMCA(神田)のサポートクラブである東京ワイズメンズクラブに入会しました。
仕事を離れ、職業を別にする人々と協働しての活動。
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